育児・教育

2007年10月14日 (日)

児童扶養手当

自民、公明両党は福田内閣発足に伴い、格差問題に取り組む目玉政策の一つとして、母子家庭に対する児童扶養手当削減を凍結することで合意していたが、対象を低所得世帯に限る方向になった。
厚生労働省の6年度調査で、母子家庭の経済環境が改善していることが分かり、一律な削減凍結は難しくなったためだ。
こんなニュースを見た。
母子家庭の経済環境が改善していると言っても余裕のない生活を余儀なくされることは間違いない。
母子家庭だけではなく父子家庭も同じで、やはり両親揃っている家庭より片親の家庭の生活は厳しいのが現実だ。
私も死別してから母子家庭になり児童扶養手当のおかげで何とか子どもたちを成人させることができた。
それなりに仕事もあり食べていくことはできても、余裕があるわけではなかった。
そんな生活をしているときに児童扶養手当は本当に助かる制度だった。
障害者、高齢者、片親家庭など、本来は社会福祉で手を差し伸べるべき部分を削り、政治家などのむだ遣いは何となくうやむやにされてはかなわない。

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2007年10月 9日 (火)

三人にしておこうか

総裁選真っ最中の時、福田さんが若い人にもアピールするつもりで話している映像で
「子どもは4人欲しいんですよ、でも子育てにはお金がかかるので何とかしてほしい」
と言った若いお母さんに
何やら言った後に
「やっぱり三人にしておこうか」
と言った。
少子化が問題になっている中、対策委員会のようなものまで設置していったい何をやっているのかと思ってしまう発言だ。
東京23区のうち、去年の出生率が1番だったのは江戸川区だそうだ。
江戸川区は子育て支援が充実しているというから、そういうところでは子どもを産めると考える人が多いということだ。
事実が証明しているのに、国として予算も使って結果が出せていない現実を政治家はどう考えているのか疑問を抱く。

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2007年10月 5日 (金)

騒音

二つの裁判の判決を聞いて、考えさせられた。
一つは上の階の子どもの足音がうるさいと訴えた裁判。
こちらの方は、夜中でも子どもが走り回ったりして、何度か静かにしてほしい伝えたが、父親は建物に言えとか引っ越せばいいなどと言っていたそうだ。
寝不足になり具合も悪くなってしまったので訴えた。
結果は騒音と認められて36万円を支払えというものだった。
こちらの方は、父親の態度にも問題があったのではないかと思う。
夜は静かにさせるように注意できたのではないだろうか、ほんの少しの思いやりがあれば昼間は子どものことだからと大目に見てくれるだろう。
もう一つは、西東京の公園の噴水で遊ぶ子どもの声がうるさいと近所に住む女性が訴えた裁判。
その公園は4.4ヘクタールもある大きな公園だ。
結果は騒音と認められて噴水は止められてしまった。
訴えた女性は具合が悪く療養中で公園ができるときにも、うるさくならないようにしてほしいと市に要望を出していたそうだ。
それでも・・・公園だ。公園で子どもたちが思いきりはしゃげないような世の中になっていいとは思えない。
噴水ではやっとおすわりできるようになったばかりの子どもでも遊べるので若いお母さん達はよく利用していたらしい。
子どもたちの遊ぶ声が聞こえなくなった町は不自然で、物悲しいと思うのだけれど・・・

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2007年8月15日 (水)

言葉で考える

日本はきつい仕事は外国人の労働力に頼るということが数年前から当たり前になってきているようなところがある。
政策としても日系人などを積極的に労働力として招いている。
横浜では在日の子どもたちの教育に力を入れて取り組んでいる。
日本語がわからないから勉強についていけない。では、日本語さえわかれば理解できるようになるのか・・・
そう思いがちだが、それほど単純ではなさそうだ。
5歳くらいで来日すると、幼稚園で日本語を覚え、だんだんに母国語を忘れてしまう。
両親は?というと日本語の方がおぼつかないので家では母国語で話している。
子どもたちは日本語で学校で習ったことや、いろいろなことを聞いてもらおうとするがうまくコミュニケーションがとれない。
5歳くらいで覚え始めた日本語では話すには不自由しなくとも、深い意味をなかなか理解できないままになっている。
ただ話しているときに理解できていないことがわかりづらいため、単に勉強ができない子だと思われてしまう。
本人も理解できないことにイライラして、その内に自分はバカだと思い始める、両親にも聞いてもらえない。
同年齢でも家では母国語を使って両親と話している子は、学校では理解するまでに時間がかかる。
ところが、母国語で説明するときちんと理解できるようになり、ひとつ理解できるとそのあとは順調に進むようになる。
在日の子のための特別補習のクラスで一緒に始めて、初めは自分の方ができたのにだんだん追い抜かれてしまう現実を子どもたちは一人で悩む。
どうしてこうなってしまうのかというと、特別クラスでは「○○に××ずつ」と表現されていたことを「○○の中に××個」と言われただけでわからなくなる。
割り算などで何コずつある?がこの中に何コある?と表現が変わっただけでわからなくなってしまうというのだ。
人間は物事を言葉で考える、だから言葉をきちんと理解していないと考えることさえできなくなるということだ。
そしてきちんとした言葉を身に付けられるのは10歳ころまでだそうだ。
来日したときに、幼稚園で家でも日本語を使ってくださいと言われてがんばったのに小学校では家では母国語で話していいんですよと教えられた。
幼稚園でも家では母国語で話していた家庭の子どもは、初めのうちはなかなか理解できなくても、複雑なことの説明は母国語をつかって教えられるときちんと理解できる。
自分の中に母国語があるかないかが、物事を考える上で重要だということがわかってきたということだ。

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